シンメトリーとモンスター 美しき群論の世界

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シンメトリーとモンスター
タイトルだけみると、なんのこっちゃと思います。怪物の話ではありません。数学の「群論」についての本です。
最近相次いで群論に関する本が翻訳されました。
「なぜこの方程式はとけないのか?」
「代数に惹かれた数学者たち」の2冊。
両方読みましたが、5次方程式のところが話の中心で食い足りませんで、本書でようやく、いちばん興味深いところに触れることができました。
内容は、有限単純群の分類に関しての歴史。
マシュー型、散発型の群がみつかり、リーチ各子の話、J群、フィッシャー群とつづき、モンスター群が発見されるまで。そしてモンスター群からわかった驚くべき事実。



数学における発見は、どんなノンフィクションよりも、驚異的な真実を含んでいて最高に面白い。

群というのは、きわめて抽象的な数学の対象で、大学で数学を専攻でもしない限り習わない。とにかくわかりにくいので、いままであまり本は出版されてなかったのだが、かくも深遠な世界がひろがっているとは。
「群」書くとむずかしいが、英語でいうと「Group」ようするに、なんかの集まりなのだが、そのGroupで、最大かつ例外的なものは、

808,017,424,794,512,875,886,459,904,961,710,757,005,754,368,000,000,000


個の要素を持っている。
これだけの数の種類のカードがあるトランプなりトレーディングゲームがあると思うとなんとなくわかるかも。
意味がある数でも最大級の数字。

それから、有限単純群の分類という偉業についても知る価値がある。
有限単純群の分類というのは、要するに無限に考えられるすべての群をタイプわけしましょうという研究で、20世紀に人類が成し遂げた知の偉業のなかでもとりわけすごいものだ。
あまりに一般的でないネタなので、たとえば一般相対性理論のように大衆には知られていないが、知の偉業感でいうと、ダントツ級だといえる。

26の散発型単純群の中には発見者の名前をとった、SuzとHNというのがある。鈴木通夫、原田耕一郎の名前だ。日本人が大きな業績を残しているということも知っておきたい。

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Neuromancer ニューロマンサー 原点回帰の一冊

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ニューロマンサー

ウィリアム・ギブスン SFの金字塔。
中学生くらいのときに、この作品がSF界を席巻して、話題と賞を総なめにしたということをきいて、早速よんだことがある。

そのときは・・だめだった。

なにがダメかというと、文章が意味不明。 数ページよんで理解できない。 哲学書や経済学の本ならともかく、小説が理解できないというのは衝撃的であった。


たとえばこんな感じ、 冒頭のシーン
港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。 「別に用ってるわけじゃないんだけど──」
いくら読んでも理解できず、放り投げた。 世の中にこんなものを理解して「面白い」と感じる人がいるのだろうか。まったく疑問におもった。翻訳が悪い。意味不明だ、と。
(後になって原書を取り寄せてみたところ、原文も意味不明にスゴかったことがわかるのだが・・)

Neuro + Romancerというのがニューロマンサー。しかし、Necoromancer。 神経細胞と、ロマンス。死霊。 不思議な語感。

この作品がSFに与えた影響はすごい。 SFどころか、その後のすべてにだ。 映画のマトリクスは、この世界観をそのままパクったものだ。
これを映画化しようとおもって、ちょっと別の作品になってしまったのがマトリクスだ。 攻殻機動隊もモロにこれである。

この小説のすごいところは、ストーリー的に面白いというより、 過去にない、全く新しい世界観を作り出してしまったという革命性にある。
別の世界をつくってしまった。
その世界観があまりに強いので、後世の人はなにを書いても作ってもその世界観の中で仕事をしてるように見える。

1984年。25年以上前。 インターネットなど何もなかった時代の作品である。 カセットテープと音響カプラーの時代だ。
その時代に、ギブソンの頭のなかにはサイバースペースがあった。

5年ほど前、ふと、もう一度チャレンジしてみようとおもって、読み返してみた。
すると、なぜか読めた。 最後までよめた。 しかも、面白い。
とにかく、面白い。 かっこよくて、テンポがよくて、クールで、サイコーだ。 僕のなかでなぜこの本が突然読めるようになったのか、それは全く不明なのだが。 10年たって、理解できるようになったのだ。

一番好きなフレーズはこれだ。タイトルにもなっているニューロマンサーという人工人格が自分の正体を明かすところ。原文を引用。
“Neuromancer,” the boy said … “Neuro from the nerves, the silver paths. Romancer. Necromancer. I call up the dead. But no, my friend.” and the boy did a little dance, brown feet printing the sand, “I am the dead, and thier land.” He laughed.
はっきり言ってかっこよすぎる。 意味不明なトークなのだが。とにかくかっこよすぎる。 しびれるとはこのことだ。 ちなみに翻訳だとこうなっている。
「ニューロは神経、銀色の径。夢想家(ロマンサー)。魔道師(ネクロマンサー)。ぼくは死者を呼び起こす。いや違うな、お友達」 と少年はちょっと踊って見せて、褐色の足で砂に跡を印し、 「ぼくこそが死者にして、その地」
ひどいとおもっていた翻訳も、原文を見るとわかったのだが、これ以上にない、しびれる翻訳だ。

ちなみにニューロマンサーの舞台は、Chiba city(千葉シティ)
日本の町並みはどこか廃れていて、画一的で、機械的で、サイバーパンク的なのだ。

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ドキュメント高校中退―恐ろしき貧困の現実

最近読んだ新書

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
著者:青砥 恭
販売元:筑摩書房
発売日:2009-10
おすすめ度:4.5
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底辺高校の実態をレポしている。
本書に書かれている高校中退のイメージは衝撃的だ。
高校中退というと、勉強が退屈なので中退して、家にひきこもりつつ、あとで大検でもとるような、世の中の「ひきこもり系中退」みたいなイメージをもつこともあるが、最底辺高校とよばれるところの実情は想像をはるかに凌駕する。

最底辺高校では、
教師が数を1から100まで数えるという補習授業をするという。
順番に数えていけばできるが、55の次はいくつか?という質問をすると10%の生徒ができない。つまり、数字の理解は30までで、それ以上の数を概念として理解することが難しい。
もちろん九九はできるはずもない。



そういう高校は、中学の成績がオール1でも、入試で答案用紙になにも書かなくても入学できる。中学で試験をうけたことがなかったので、成績がないという生徒でも入学できている事例も紹介されている。

高校は勉強の場ではなく、18歳で社会に出るまでの猶予期間に過ぎない。働くわけにもいかないし、勉強してもしかたないので、つまり、宙ぶらりんな期間に、いちおう学校いってますというお墨付きをあたえる期間にすぎない。

中退率もすごい。あるクラスは入学時28人で、その年のおわりには10人減った。2年生以降はすこしはやめなくなるのだが、卒業するのは半数程度だそうだ。

もちろん、いきなり、そういう風になるわけではなくて、タイトル上著者は高校中退にフォーカスしているが、高校が問題というより、中学校のときからもうだめで、たいがいは小学生の2-3年生からもう勉強についていけなくなってしまっている。中学生までは義務教育で中退ということにはならないので、中学中退では本のタイトルにならない。だから高校中退としているのであるが、実情は小学校中退というのがふさわしい。

姉妹でシングルマザーとか。
ダブル母子家庭とか。
親が男のところに転がり込んだので、家を追い出された女の子とか。
もうめちゃくちゃ。

経済環境もめちゃくちゃで、
交通費がだせないので、自転車で1時間以上かかって通っている生徒や
体操着が買えないとか、
入学金の5000円が工面できないとか
そういう話になっている。

著者は貧困が連鎖することを問題視しているが、まさにそのとおりだ。
このような層が固定化することは、社会的にもリスクになるというのは指摘の通りである。

戦後の経済成長の中では、たとえ中学卒業でも、文字が読めなくても、計算がおぼつかなくても、常に人手がたりなかったので、仕事があり、賃金があがり、みんながそれなりに食っていけた。

しかし、バブル崩壊以降、この本にかかれているような人にとってはまともな雇用はなくなってしまった。不安定雇用と低賃金の仕事を一生するしかない。生涯にわたってアルバイトで暮らすしかないのである。

提言は4つあがっていた。
1つめ。高校の授業料無償化は、とてもいい策だろう。5000円とかのレベルが払えないで中退するひともいるくらいの経済状況なのだから、わずかの補助で高校卒業までサポートできるかもしれない。民主党は高校授業料の無償化を政策にあげているが、これは効果がありそうだ。

つぎに、高校を、普通教育から専門教育にシフトすること。ここにあがっている生徒に、微積分やらを教えてもしかたないが、高校のカリキュラムはすべて画一で、変えることができない。
普通教育ではなく、職業訓練学校としての機能に大きくシフトすべきというのにも賛成だ。

3つめは、そもそも高校になってからは手遅れという指摘。小中学校には児童福祉的な機能ももたせるべきだという意見。これも賛成である。

第4の提言は、ドロップアウトしたひとを職業訓練しようというもの。

ただ、これらの原因をすべて新自由主義と競争に起因させてしまっているところはいささか短絡的過ぎる。新自由主義が福祉を崩壊させ、家族の崩壊させたと書いてあるが、実際は、高度成長期は中学卒業のひとでも雇用があったのだから、競争のせいではない。経済成長が停滞しているから、底辺から順番に雇用が失われていったというのが実態で、その結果、底辺層の家族やコミュニティが崩壊したという順序だろう。

また新自由主義による競争が、高校を選べなくし、序列化がすすみ、底辺に人をおしつめているという指摘だが、それもどうか。
むしろ、がんじがらめになった画一的なカリキュラムがそのような問題を生んでいるのでは。

提言にある、職業訓練学校も、つくったところで、生徒にお金がなくて通えなくては意味がない。また、筆者も指摘しているが、そもそも職業訓練以前に、読み書きや、歯を磨くとか、小学校低学年くらいからの教育をもう一度やりなおす必要がある。

たとえば、高校を無償化し授業料をクーポンみたいな形にして家庭に支給するというのはどうか。あわせて、無料化したところで、既存の高校にしか通えないのであれば、九九がわからない生徒が微積分を教わることになるのだから、もうすこしカリキュラムを自由化し、非営利団体や宗教法人や企業も参入できるようにして、クーポンがつかえる学校の多様化を図るということもセットだ。

九九もできない生徒がいるならば、学校では、従来の教員資格をもっていても役にたたないから、ソーシャルワーカーといったひとが先生になったほうがいいかもしれない。画一的な教員資格も緩和して、教員資格を持っていない人も雇用できれば、さまざまな取り組みができるだろう。

それらの学校の多くはいわゆる従来の常識でいう高校からははずれるだろうし、そもそも学校という定義からもはずれるものも出てくるかもしれない。しかし、彼らの必要なのは、そのような世の中の常識が考える学校の定義から外れるものこそなのだから、それが現実だ。
そして、常識では学校と考えられないものにたいしてもクーポンがつかえるようにすれば、生徒の再生の道筋はもうすこし広がるかもしれない。

生徒の再生に特化する学校も出るかもしれない。戸塚ヨットスクールだって、ニーズがあって、最後の望みを託した親もいたわけだ。戸塚氏の体罰をつかった教育方法の是非は置いておくが、要は再生学校みたいなものに、クーポンをつかって無料で通うことができれば、すこしはなんとかなるかもしれないということだ。

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リーマン予想ほか、最近解かれた数学の難問を解説した本のまとめ

本日NHKスペシャルで、リーマン予想の番組「魔性の難問・リーマン予想・天才たちの闘い」が放送されました。
反響大きく、twitterでもかなり盛り上がってます。
こちらのブログも、リーマン予想を検索ワードにして来ているひともちらほら。

リーマン予想とは、

「リーマンゼータ関数の自明でないゼロ点は、すべて実数部が1/2だろう」

といったものなので、なかなか簡単には理解できない話なのですが、一般向けの良書も発売されており、NHKスペシャルの放映もあって、注目を浴びています。

どうして、注目になっているのか?
ごく簡単にいうと、現在の数学の未解決問題のなかで「一番の大物」だからです。これを仕留めれば確実に歴史に名が残る。名誉だけではなく、数学という学問の進展においても最大の功績を残すことのできる重要な問題なのです。
リーマン予想は、数学の基礎的な部分(素数の分布)に深くかかわり、さらに数学の他の広い範囲と密接なかかわりがあるとされています。



ここ数十年は、あとでも述べますが、何百年も未解決だった問題がつぎつぎと解決している奇跡の年です。ここ10年くらいでも、フェルマーの大定理、ポワンカレ予想、ケプラー予想といった問題が解決されています。
それでも頑なに解決を寄せ付けず、それでいてとりわけ重要なのがこのリーマン予想なのです。

他の未解決問題のなかでも、リーマン予想は一般のひとでも理解できる数式で書かれており、そういう意味でも、一般の人でもロマンを終える数少ない問題です。残りの未解決問題は残念ながら素人にとっては問題自体を理解するのが困難なものも少なくありません。

リーマン予想は、一般の数学ファンにとってのこされた最後のフロンティアなのかもしれません。

ここでは、一般向けに書かれている、おすすめ本を2冊あげます。

著者:マーカス・デュ・ソートイ
販売元:新潮社
発売日:2005-08-30
おすすめ度:4.5
著者:John Derbyshire
販売元:日経BP社
発売日:2004-08-26
おすすめ度:4.5




「素数の音楽」のほうが、より一般向けの本です。数学がまったく分からないというひと向けに書かれていて、数式をあまりつかわず説明がされています。リーマン予想そのものの説明もさることながら、数学の歴史や、周辺の有名な数学上のエピソードなども含まれているので、初心者が読むにはこちらがよいでしょう。とくに数学の知識がなくても、リーマン予想に関する人物の歴史をとおして、数学のダイナミズムを実感することができます。

「素数に憑かれた人たち」のほうは、ややアドバンスド。前者と違い、歴史や人物物語よりも、リーマン予想そのものの数学を追っていく系の本なので、かなり数式がでてきます。log、微積分が何を意味するのか、複素数とかが分かってないと後半は理解が難しいかもしれません。
筆者も前書きに「本書で用いたものよりも初歩的な数学を使ったのではリーマン予想は説明できない。したがって、本書を読んでリーマン予想を理解できなければ、これから先も理解できないであろう」と書いてあります。
ただリーマン予想にまつわる数学を、高校数学レベルで分かるように解説した本は他に類書がなく、その意味で、前提となる数学知識があるひとにとっては、リーマン予想の驚くほど示唆にとんだ内容を「物語」レベルではなく「もっとリアル」に体感できる良書だと思います。
後半、とくにπ関数の値を正確に求めるくだり、J関数や、誤差項の計算をするあたりにはたいへん興奮します。

一般向けの数学のノンフィクションは、良書がたくさん出版されています。
とりわけ、この分野の先鞭をつけたのは、サイモン シンの、「フェルマーの最終定理」という本でしょう。もし、数学関連の本を一度も、読んだことがないなら、まず、これ読んでみてください。

とにかく面白い。数学をめぐるあらゆるテーマがつまっており、歴史絵巻、人物絵巻としても面白く、最高の知的興奮が得られます。

どれだけおもしろいかは、他のひとのレビューをみていただければわかるでしょう。正直、私が過去に読んだあらゆるノンフィクションの中で、この本はベスト3に入る本です。

著者:サイモン シン
販売元:新潮社
発売日:2006-05
おすすめ度:5.0



また、ここ数十年くらいは、何百年も解かれていないような超難問の数学の身解決問題が次々と解決されているといいいました。
どういう問題があるのか、知りたいとおもうでしょう。
たとえば、有名なものはこの4つ。いずれも長い間未解決だった問題です。

・フェルマーの最終定理
・ポワンカレ予想
・ケプラー予想
・四色問題

このような予想が解かれるたびに、一般向けの解説書が出るというのが現在の流れです。
それぞれのテーマでおすすめの本を上げます。

■フェルマーの最終定理
先ほど書いたサイモン・シンの「フェルマーの最終定理」が極めつけで、ベストです

■ポワンカレ予想
ポワンカレ予想自体、命題が一般のひとには分かりずらく、「そもそもの予想の内容」を理解するのが大変です。この本は前半は予想の解説にかなり力をいれているので親切です。ただ、後半それをどのように証明したかというところは、はっきりいって著者も細部を追えてないくらい難しいので、雰囲気をつかむくらいということで。
ポワンカレ予想については、そもそも問題が何であるかを理解できるようになるということのほうが重要かもしれません。

著者:ドナル・オシア
販売元:日経BP社
発売日:2007-06-21
おすすめ度:4.0






追記
ポワンカレ予想については、下記の本がベストです。
分り易い。歴史ドラマもあり、予想についてもよくわかり、どのように解かれたかという経緯もよくわかる。リッチフローでの解決のくだりなども詳しく、ポワンカレ本の中ではベスト


■ケプラー予想
別名を、最密充填問題と呼びます。これも何百年にわたり証明されることがなかった問題ですが、トマス・ヘールズ1998年に解かれました。コンピュータープログラムによる証明が提示されたというのも面白い話です。ケプラー予想の本はそれほど多くありませんので、この本一冊で十分でしょう。

著者:ジョージ・G・スピーロ
販売元:新潮社
発売日:2005-04-27
おすすめ度:3.5




■四色問題
四色問題とは、地図を塗りわける際に、いかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗るには4色あれば十分だという定理です。
これも非常に素朴な予想ながら、きわめつけの難問で、長い間数学者を悩ませてきました。
この問題は、問題が解決されたという事実もさることながら、その証明の方法のほうが世の中を騒がせました。というのも、数学の難問の証明に、コンピューターによる力ずくのシミュレーションが使われたのです。
証明の論文には、コンピュータによる計算結果と、その計算を行うプログラムが添付されたのです。
すべての地図の可能性のある数千のパターンに分類し、その数千をスーパーコンピューターによる1200時間のしらみつぶしのシミュレーションにより、4色で塗り分けるという方法がとられました。
人間の演繹的思考によるエレガントな証明が与えられるべきと考えていた人にとっては、あまり愉快なものではなかったのです。
なお、現在においても、コンピュータを利用しない証明は見つかっていません。

著者:ロビン・ウィルソン
販売元:新潮社
発売日:2004-11-25
おすすめ度:4.0




■その他ミレニアム問題
数学の未解決問題については、「ミレニアム懸賞問題」というものがあります。ミレニアムの2000年を機に、アメリカのクレイ数学研究所がそれぞれ賞金100万ドルをかけて7つの重要な未解決問題を提示しました。
その筆頭に上げられているのが、リーマン予想。そしてポワンカレ予想です。ポワンカレ予想は前述のとおり、解決されました。しかがって、のこり6つが未解決というわけです。
7つの未解決問題とは、
リーマン予想、P≠NP問題、ナヴィエ・ストークス方程式、ポワンカレ予想、ホッジ予想、ヤン・ミルズ方程式と質量ギャップ問題、バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想の7つです。
リーマン予想、P≠NP問題くらいまでは、予想の内容がなんとなくわかります。ポワンカレ予想もなんとか理解できます。ナヴィエ・ストークス方程式も理解可能です。
それ以外の4つは、問題自体を理解すること自体が困難です。それをなんとか筆者は解説しようとがんばっています。ホッジ予想などは、あまりに高度に専門的でまったく理解できなくくらい抽象的で、他の文献では解説を完全にあきらめています。この本ではなんとかそれを解説しようと努めていて、おぼろげながら何に関する予想なのかくらいはつかめますので、貴重な文献です。

著者:キース・デブリン
販売元:岩波書店
発売日:2004-08-26
おすすめ度:4.0




■群論
 また、未解決問題ではありませんが、群論という非常に面白い数学の分野があります。モンスター群といわれる巨大な数の話を含む、有限単純群の分類という問題は、人類が成し遂げた知的偉業のうち最大級のレベルのものといわれるほどのすさまじいものです。

(2011.7 追記)
群論は、これまたとても抽象的なので、なかなか一般向けの本はありませんでした。が、相次いで、良書が翻訳されましたので、興味のあるかたは、ぜひ呼んでみてください。
群論については、決定版が出版されました。わかりにくい群論の世界を紐解くように、美しいエピソードとともに案内してくれます。2011年に読んだ本の中ではベストの本です。おすすめします。

シンメトリーの地図帳 (新潮クレスト・ブックス)
シンメトリーの地図帳 (新潮クレスト・ブックス)
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科学にわからないことがある理由

科学にわからないことがある理由―不可能の起源科学にわからないことがある理由―不可能の起源
著者:ジョン・D・ バロウ
販売元:青土社
発売日:2000-04
おすすめ度:3.5
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今日ようやく読み終えた。
科学の限界、不可能性に関する本である。限界といっても、宗教や人間性とか環境の観点から科学の限界を攻めるという類の本ではなく、科学自身によって明らかになった科学の限界を解説した本である。
原題が、Limits of Science and Science of Limitsとある。
限界に関する科学なのだ。



物理学、数学、論理学、計算機科学、哲学、経済学、非常に多くの分野での限界の考察が紹介されている。
時間旅行などのおなじみのものもあれば、聞いたことのないものもあった。いくつか紹介しよう。
コンピューターが膨大な数の単純計算を代わりにしてくれて、その一つ一つの結果が簡単に視覚的にとらえられるものであれば、おそらく我々は、この判断で満足するだろう。
しかし、コンピューターが、含まれる個々の段階が複雑すぎて結果を十分にイメージできないほど、複合的な長い計算過程を行うとなれば、我々の「理解」が実際はどこに行き着くのかが心配になってくる。複雑な自然現象を完全にシミュレートしようとすれば、調べられるものの複合度に近づく複合度のプログラムを含むことになる。それは、描こうとする領域と同じ大きさの、原寸大の地図を手にするようなものである。
自然は本質的に複雑で、人間にはそもそも理解出来なものなのかもしれない。
有名な4色定理の証明は、コンピューターを使ったものだった。たしかに証明は正しいものの、その証明のワンステップ・ワンステップはコンピューターが作成した膨大な論理ステップであって、人間が見通して理解出来るものではなかったのだ。これは数学会で物議をかもした。
我々の頭脳は頭にある科学で設計されたわけではないし、進化もそもそもこの目的に頭脳を合わせたわけでもない。今の世界では遭遇しないような課題があった大昔の環境に適応するという不規則な過程の結果として得られた肉体的、頭脳的属性を有している。
人は社会的にやり取りをし、安全な住処を見つけ、暑すぎたり寒すぎたりしないようにし、配偶者をひきつけ、危険や捕食者には近寄らないようにし、できるだけ多くの子供を得るための能力の詰め合わせである。
科学的推論の能力は、他の、一見するとずっと卑俗な目的に合うように選択された能力の副産物として理解しなければならない。だからっ見たところでは、我々に<宇宙>の動き方がわかるための概念的能力を有すべき理由はない。
人間の脳は科学のために進化したわけではない。なので、宇宙を解明するだけの能力をそもそも備えていない可能性もある。



不可能性について、最低限知っておきたいのは、次の3つの定理だ。
直感的に素朴に考えると可能におもえることが、原理的に不可能であるということが証明されている。

ハイゼンベルグの不確定性原理
・・これは、位置と運動量は同時には決して正確にわからないということだ。世界の今を完全に記述することができれば、未来は正確に予想できるが、今を完全に記述することは、そもそも原理的に不可能なのである。

ゲーテルの不完全性定理
・・どんな論理体系にも、その論理体系のなかからは、(もし正しいとしたら、その正しいことを)証明できない命題があるという定理。
論理体系には本質的に不完全性が備わっている。論理という最も基本的な体系に、ある限界があるということを示した、20世紀の知の偉業。

アローの不可能性定理
・・社会の中の個人はそれぞれ個人的な好みをもち、その好みを合計すると社会全体の好みと合致する。みんなの意見を集めて、それを総合して何かを決める。つまりランキング、選挙なりの仕組みだ。これが原理的に存在しないことを示す驚異の定理だ。
あまり知られていない定理だが、社会選択論という新しい分野を切り開いた、インパクトは大きい。

この3つの定理は知っておいて損はない。しらない人がいたら、それぞれに関して入門書もあるので、ぜひ理解しておきたい。



この本はなかなか面白いのだが、ただし・・・翻訳が致命的に悪い。まるで機械翻訳を読んでいるようだ。というか機械翻訳と同じレベル。
翻訳書に慣れている人はおろか、翻訳書好きのひとでも途中で投げ出してしまうだろう。ある程度、自然科学に素養があり、基礎知識背景があって、ざっと読み飛ばせる人以外はおすすめしない。 

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「食料危機をあおってはいけない」に煽られた

「食糧危機」をあおってはいけない (Bunshun Paperbacks)「食糧危機」をあおってはいけない (Bunshun Paperbacks)
著者:川島 博之
販売元:文藝春秋
発売日:2009-03-26
おすすめ度:4.0
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食料問題に関心があったので読んでみた。
目からウロコの本である。

結論からすると、食料問題などという議論が存在するのは日本だけである。ばかばかしい。
日本以外の国でいう食料問題とは、
・サハラ以南のアフリカにおける食料不足*のことか、
・自国の貧しい農民への補助金の政策的問題か、
・食料が取れすぎて価格が暴落するので、どの国に買ってもらうかという押し付け問題
のことである。



決して、食料が足りなくなるなどという認識はない。
食料は、いまでも大量に余っている。

食料は手塩をかけて育てる貴重なものという感覚があったが、私の中でそのパラダイムがかわった。オーストラリアの広大な農地では、飛行機で適当に種をばらまいて、あとは自然の雨がふって収穫時期がくるのをまつだけ。
雑草は何もしないでも勝手に生える。
植物というのはそんなもんなのだ。
なので、放っておいても毎年大量の小麦がとれてしまうのだ。
とりわけ穀物はどんな環境でも勝手にそだつ。だから食料として適しているわけだ。イチゴとは違う。

食糧は、足りないのではなく、むしろ、取れすぎる食料をどのように価格を維持して、かつ他国に売りさばくかということである。

中国のスーパーマーケットに行くと、米が500gで1.8元=23.4円で売っている。中国では米はタダみたいなもんだ。だから中国では大量にコメを炊いて食い散らかして、大量に捨てている。でも安からどうでもいい。

日本では、5kgで2000円くらい。同じ量の米が、中国では、234円だ。ようするに日本の米は8.5倍もするのだ。

米の関税率はなんと、778%だ。これに輸入原価100%を加えると、878%。つまり8.7倍。つじつまがあう。

米と言うのは凄まじく安くて大量に採れる作物で、世界中でありあまっているのである。米が食えなくなるというのは神話である。

一日500gの米をくって、365日、米だけ食うとする。すると約180kg。中国なりベトナムなりフィリピンから輸入すれば、年間のコメ代はわずかに、8424円で済む。べらぼうに安いのである。

8000円を払えない日本人は誰ひとりとして存在しない。
もしコメの価格があがって、仮にべらぼうに高くなって5倍になったとしよう。それでも年間のコメ代は4万円ですむ。
4万円が払えない日本人もこれも誰ひとりとして存在しないだろう。
(誤解なきようにもう一度、いまのコメ代に加えて4万円ではなく、年間の主食の食費が4万円ですむということ)

じゃ、こんなに安いコメも買えないくにがあるかというと、
北朝鮮のウォンでコメをうってくれる国はない。北朝鮮は、キノコなりを輸出した代金のドルで、コメを買っているわけだ。だから買えるコメの量が限られ、末端までまわてtこない。

幸い日本は大量に外貨を稼げる。円を受け取ってくれる国もある。自国通貨で物が買える場合もある。

外貨があれば食料はいくらでも手に入る。国際的にいうと食料はとても安いのだ。日本人は高い国産のコメをかわされているだけなのだ。

これだけ経済力のある日本が食料を買う金がなくなるなんてことは絶対にない。安心していい。

*アフリカでは、まだあまり化学肥料をつかっていないので、科学肥料を使えば収穫量が何倍にもなる可能性がある。生産性は伸びるのだ。

しかし、それをしてないのは、むしろ、豊作貧乏になる危険があるからだ。農村には輸送のための道路や港湾がないので、大量にとれても、他地域や他国に売るということができない。
とれた作物はそれこそ「自家消費」しないといけない。すると価格が暴落して、みんな貧乏になる。いくら貧しい生活をしていても、去年よりパンを2倍もたべるようになるかというとそうではない。そういう経済の問題のほうが大きい。

昔の日本でもロジスティクスが発達していなかったからそういう問題がおきた。 アフリカ以外の国ではロジスティクスは十分発達している。世界のどこかの地域が不作でも、すぐに他の地域から食料が運ばれてくる。

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「七つの最高峰」 世界はなんと美しいことか

七つの最高峰それまでの人生で手に入れられなかったものを探しに出かけたふたりの男の物語

販売元:文藝春秋
発売日:1995-08
おすすめ度:3.5

5年ほど前に読んだ本なのだが、いまだに私の心に焦げ付いてはなれないので取り上げておきたい。


7つの最高峰とは、セブン・サミッツともよばれる、世界7大陸の最高峰のことである。
これに全部登ることを、七大陸最高峰登頂=セブン・サミッターとよぶ。登山家にとっての大きな目標としてよく知られている。日本では、田部井淳子が世界で初めて女性としてエベレストに登ったあと、七大陸最高峰も最初に極めている。最近では、野口健が世界最年少(当時)で制覇したことで知られる。最近よく名前があがる栗城史多が挑戦しているのもこれである。

この本はその7大陸最高峰に「初めて」 登ったディック・バスと、仲間のフランク・ウェルズの挑戦の手記である。
話の腰を折ると、7大陸最高峰というのは、エベレスト以外はべつに誰でものぼれる(ただし南極はお金がかかる)という山であって、冒険的な価値は殆どない。なので、先代の登山家は、大陸それぞれの最高峰に登るということに意味は見出してなかったし、当然「7大陸」なんていう言葉もなかった。

しかし、そこに、ディックとフランクは、7大陸最高峰を極めたらすごいぜ!というアイデアを発明して世間にアピールしたのだ。そして、それ以来、世界中の登山家がこのゲームに夢中になっているのである。
実は、この2人単なるアマチュア。山なんか登ったことが全くなかった素人であった。
ディックは、テキサスの大富豪、フランクはワーナー・ブラザーズの社長。なので、金だけはある。

二人はもう50歳をすぎていた。
2人は、お金はあったが、人生の生きる意味を失いかけていたのだ。
そこに、たまたま登ったマッキンリーでディックが登山のすばらしさに目覚める。

「僕らは世界の何もみていないんじゃないか」
「そうだ。世界は7つの大陸があるというに、ぼくらはアメリカのそれもほんの少しのぶぶんしかみたことがない」
「世界の7つの大陸、それぞれの一番高いところから、世界をみたら、どうなふうにみえるだろうか?すべてがみわたせるのではないか?」
「やってみようじゃないか」

と言って始まった。
中年のオヤジの夢である。
この本は、登山の本ではあるが、中年オヤジの夢追い物語なのである。

山にまったく登ったことのなかった中年オヤジが、なんとかして、世界最高峰(エベレストも!)を極めるシーンがクライマックスだ。

シリアスな登山界やプロの冒険家からは「ガイドをつけての金持ちの大名登山」「冒険としての価値は何一つない」「登山を商業化した」と非難されまくったのだが、僕は別の視点からみている。
これはプロの冒険ではなく、50を過ぎたオヤジの、パーソナルな、自分たちの生き方への冒険だったのだ。

すべてのページから、純粋で、好奇心に満ちて、ほんとうに心の底から人生を楽しんでいる姿がつたわってくる。単なる思いつきから始まったとしても、たとえ、有り余るほどのお金があったとしても、こうやって夢を実現できるひとは、実際はすくない。

誰しもが、なにかの夢を描くが、途中であきらめてしまう。勇気をもって行動してみることは、そのひとにとっては冒険だ。その夢がパーソナルなものでも、その人生にとっては冒険なのである。

純粋に夢を追い求める2人の姿に、僕は心から胸を打たれたのである。

とりわけ、彼らが、なぜセブンサミッツに登るのか、という理由のところで、引用した詩の一節には、深く心をうごかされた。


ロバート・サーヴィスの詩。「転がる石」だ。
子供のきらきらと輝く好奇のまなざしで
世の中のすべてを見るように
人生をかみしめるように
荒まく海から高原までも
裏町の路地も野生の王国も
赤く輝く星から一粒の砂までも
すべてを飲み込むほど偉大なものも
信じられないほど小さなものも
なにかを持ってそこにあるんだ
わたしはそのすべてをこの目で見たい

ロバート・サービス 『転がる石』
僕が生きている意味はこれなのだ。

そのすべてをこの目でみるために、僕はいきているのだ。



世界は、なんと美しいことか。

*1かつてオーストラリア大陸最高峰は、コウジスコという山であったが、これはスキー場から登っていける2000m足らずの山であり、最高峰に相応しくないという意見があった。そこで、オーストラリア大陸だけではなく、オセアニア地域全体での最高峰という概念になり、現在では、オセアニア地域最高峰として、イリアンジャヤにあるカルステンツ・ピラミッドに登るのが一般的になっている。 

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これならわかるアートの歴史

これならわかるアートの歴史―洞窟壁画から現代美術までこれならわかるアートの歴史―洞窟壁画から現代美術まで
著者:ジョン ファーマン
販売元:東京書籍
発売日:1997-10
おすすめ度:2.0
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ところで、ここのところ、書評が、数学のほんとか、山登りの本ばかりで、ビジネス書がないのがなんともかもしれない。しかし、実際ビジネス書はあんまり読んでないのだ。必要な箇所をちょっと読むだけ。
真面目に読んでるのは、こういう本である。

で、いま一番興味があるのはアートなので、真面目に読んでいる。
これは、洞窟壁画から現代アートまでのアートの歴史を書いた文化史本。
アート見て楽しいものだが、その歴史となると、実につまらなく、読むのがつらいものになりがち。この本は、イギリス風のジョークの塊でアート史を解説していて、あまり退屈させない



最後の章では、「悪い芸術があるか?」とう質問に著者の答えを述べている。
答えは簡単だとおもう。「悪い芸術」というのは「作りやすい」んじゃなくて、「理解しやすい」ものだ。見たまんまで、何も考える必要がない。
・・これらの作品に共通する特徴といえば、器用さしかないと思われる。
まさにそのとおりなんだよね。
多くの人が、現代の芸術を「わけがわからなくて、つまらない。モネとかが綺麗」というわけ。
でも、ビジネスマンとか起業家であればあるほど、「わけのわからない」ものを見て欲しい。もう1000年も前にかかれて、何もあたらしくないイメージをみて心がいやされても、まあそれはそれでいいかもしれないけども、それだと風呂入るとか、ヒーリング音楽聞くとかと一緒だ。

もっと攻撃的になろうぜ。ビジネスも、起業も、アートも、だれもやったことのないことをやることに価値がある。

・既存のゲームを否定しているから既存のひとから強烈な拒否反応をくらうもの

は、アートとしても、起業としても、価値がある。

それが、世の中のルールを塗り替えるのだ。新しい価値を世の中に示すのだ。

アートにおいても、起業においても、強烈な物議を起こし、過去のルールを革新したものがたもが、偉大なる物として歴史に残っているのだ。

牛丼屋の事業の計画をもってきてもベンチャーキャピタルは投資しない。キャピタルが投資するのは、twitterのように、まだ誰もやったことが無いものだ。そして、(新しすぎるので)一見しただけでは、140字でつぶやいただけでどこが面白いの?とわからないものだ。

そういう革命の積み重ね、だとおもうと、現代の芸術がワケ分からんものばかりというのも理解できるのではないか。

ということで、起業家は、アートを見なさいが私の常々の提言である。
アートは一見しただけでばわけわからない。不快だったり、常識をくつがえしたり、価値観を揺さぶる。頭に汗をかく。だから見る価値がある。

本の内容をさっぱり紹介してなかった。ちなみにこの本は、イギリス流のブラックジョークばかりで、なかなか強烈。

たとえば、ウォーホールのところは

「アンディ・ウォーホールは、キャンベル・スープの缶を巨大なキャンヴァスに書いたり、気ままな両刀遣いの性生活を皆が見られるようにあっけらかんとさらけ出したりして、美術界にスキャンダルを巻き起こした。」

クリストのところは、芸術とい行為にたいしてのブラックジョーク、

「全人口の20%が貧困に苦しんでいる地球で、アホなブルガリア人が、芸術家気取りのうぬぼれ屋集団を喜ばせて巨額のカネを手にするなんて、結構むかつくぜ。クリスト氏は、この狂った地球全体を包むべきだ(本人を包んだあとで)。そうすればこんなナンセンスはもう終りになる」

といったぐあい。
楽しく読めるので、オススメである。

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現代アートバブル

現代アートバブル現代アートバブル

だいぶ前に読んだ本。「現代アートバブル」とあるだけに、現代アートの市場の部分の解説もあるが、前半部分は吉井氏が考える現代アートの新しい流れ論。


私たちが現実と読んでいるものは、認識可能なものの総体による構築物と言えるでしょう。そしてここで問題になるのは、イメージの媒介性です。実際のところ、私たちはあまりにも多くの物事を、視覚的経験によって先取りしているのです。
身体の投入を伴う経験に先立って、メディアを通じて流入するビジュアル・イメー
ジが、私たちの認識のあり方を規定してしまいます。

ハリウッドはありとあらゆる架空のイメージを作り出しているし、人類のディズアスターもすべて映像化されている。
youtubeでも簡単にあらゆる映像をみることができる。
世の中で起こりうるあらゆることが、すでになんらかの架空の映像の形で私たちの目の中に飛び込んでしまってきており、それを避けられない。
だから、WTCの崩壊や、イラク戦争だって、テレビゲームのように見える。



僕らの「現実感覚」が薄れてきているんだと教育者はいうのかもしれないが、薄れているのではない。
すでに僕らは映像を通してどこかで「体験ずみ」だから、たとえ現実の自由の女神が崩壊しても「想定済み」「想像の範囲内」「驚くに値しない」ことなのだ。

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