手書きの手紙で依頼する人は、「熱意血判状」タイプと「礼節にうるさいジジイ」タイプの2つに分類できると分析

 

 

手書きの手紙で依頼する人は「仕事ができない人」 社会学者・古市憲寿氏の持論に驚きの声

すこしネタとして遅れて参入ですが、私なりの分析を加えたいと思います。

手書の手紙での依頼ですが、この趣旨を2つに分類できるとおもうんですね。これを分けて考えましょう

一つは、熱意です。たとえば、依頼のメールをしたが無視されて、誰かに紹介を頼んでも音沙汰無し、なんども断られ続けたが、どうしても真意を伝えたくて、熱意と、本気を伝えたくて、手書きの依頼状を書く、そういうタイプのものです。現在の血判状でしょうかね。

手書き賛成派の論拠の多くは、手書きで書くほど熱意があるのだから、という意味ですから、こういうタイプの依頼人はありだと思いますね。私も、仮にこれほどまでの熱意を伝えられたら心が動きます。(そもそも私の場合大した仕事ができるわけでもないので、そこまで頼まれることは無いですが)

熱意タイプの依頼を古市さんがうけたとしても、問題なく仕事ができるんじゃないでしょうか。古市さんがLINEをつかいたければ、そのかたもLINEで仕事してくれるでしょうし、なにしろ古市さんにそれだけ仕事を依頼したくて頑張った人なのですから。

もう一つは、単なる礼節として手書きで書くのが当たり前とおもってやっているひと。こちらは厄介ですよ。以前、仕事の依頼は、手書きで記念切手を貼ったもので出すのが常識だ、と発言して反発をくらった大学教授がいました。

これと同じだと思うんですよね。つまり、礼節として手書きで依頼している。ということは、こういう人に対して、じゃあLINEで返答したり、重要な要件のメールやチャットで済ましたり、表敬のご挨拶や顔合わせを省略したら、たぶん怒るとおもうんですよね。クライアントに対して礼節を欠く態度だって。

礼節のすれ違いほど理解し合えないことはないとおもいますので、こういうトラブルを未然にふせぐためにも、礼節のプロトコルが同じ人とだけ仕事をするというのは賢い事前対処法と思います。

私の場合でいいますと、最近はビデオ会議の導入に、こういうハードルがありました。いま私は、海外に住んでいることもあって、ほとんどの会議や打ち合わせをビデオ会議でやっておりまして、日本に滞在している際にも、対面の打ち合わせは極力ご遠慮ねがっております。

お互いにコスト削減になって現在ではハッピーなのですが、当初は、なかなか理解してもらうのが難しく、対面で行わないのは困るとか、遠方のクライアントオフィスまでご足労願わないと困るとか、まずは顔合わせしてからでないと頼めない、という方もいらっしゃって、その理由は、まあ仕事は対面が常識だろ、とか、顔を合わせたほうが安心、みたいな礼節的な話や、合理性では割り切れない神秘的な話もあるとおもうのです。その価値観を変えてもらうの難しいので、そういうクライアントだと、本質的なこと以外に、余計なコストが掛かるのは否めません。

(私の場合、見積書をPDFで送って判断しています。見積書を送ったあと、時間が立って、紙に判子をついたものを、送り直せとか、いまどきのFAXで送れ、そうしないと先に進まないというところは、「仕事ができない会社」と思ってまして、自衛手段を盛り込んだ上で仕事をしています)

古市さんはLINEをつかったり、合理的に仕事をするタイプだおともうので、礼節プロトコルの違いで、気分を害されたり、へそを曲げたり、怒ったり、謝りに来い、みたいな話になっちゃうひとと仕事をするのは、めんどうくさいでしょうし、ヘタすると、本質ではない部分の対応の時間とかで、コストわれしちゃうこともあるんですよね。

古市さんは、普通に礼節をお持ちであると思いますが、「手紙で仕事を頼むのが常識」レベルのズレがあると、古市さんなりの礼節が通用しないケースも多々あるんじゃないかと思います。それが、「仕事ができなさそうな人」という表現になるのでしょう。

要するに、手紙をよこしてくるタイプは、①熱意の血判状と、②礼節にうるさいジジイ、この2つがあるということです。この2つをごっちゃにするなかれです。みなさんは1のタイプが多いと想定していたのでしょうが、私の経験からも圧倒的に多いのは2のタイプです。

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