無駄な努力をもって忠誠を示す文化

選挙カーでの連呼がなくならないのは、結局ジジババや町内会の思い込みということのようだ。

キャリコネニュースの記事によれば、

「じじばばはこれで『よう仕事しとる』とくる。うるせえ言う世代は投票率低い」
「すっごいわかるんだけど、しないと『熱心な』支持者が『あいつはサボってる』と風評を流したりするんだ」

「町会長や自治会長が『うちの町会でやってよ』と言われて断るとその町会では票が入らなくなる事も十分あり得るんです」

とのこと。

町内では票が入らないってことは、どこまで言っても組織票なんだよね。

これを考え見れば、選挙カーが効果あるのかもしれない(皮肉)。連呼が名前を浸透させ票に結びつくという直接効果ではなく、支持者に「頑張ってます」という姿勢を見せるという間接的な効果によって(皮肉)

日本は、このような、無駄な努力をもって忠誠を示す、という文化が根強いが、選挙にもそういうことがあるということだろう。

これらの文化は何処からきているのだろうか。

同質性の高いムラ社会では、組織の構成員として認められるためには、合理的でない行動を示す必要がある。合理性の無いことでも言われたことはやることをもって、忠誠を誓う。例えば、エール大学の秘密クラブ「スカル・アンド・ボーンズ」では、入会の忠誠として、棺おけの上に裸で横たわり、自慰行為を行うなど、馬鹿げた行為をもって忠誠を誓う。逆にいうと、意味のある行為、合理的な行為は個人の利益になるので、忠誠を示すのには不適切なのだ。

同様に、未開社会の成人の儀式などでも、まったく意味のない苦行が強いられる。それが忠誠の証だからだ。祭りは、マイルドになっているが同様の意味合いの部分も持っている。祭りの行為の大半に意味は無いが、これに参加することで忠誠が示される。

それの延長なのかもしれない。

そういえば、町内会というのは、戦中の総動員体制のときに、発達した制度だそうだ。要するに、国民を監視するために、役人では手が足りないため、自主規制組織を作らせて、監視した。町内を単位にして、さらに班長を設けることで、それぞれの家庭の隅々まで、思想や行動を監視して、戦争強力に否定的なら、あぶり出して村八分にしたのである。

密告制度、住民の相互監視、同質性の高い社会をつかったうまい方法だっただろう。

この構造は、それが過去のものになっても変えられないという特質がある。現在でもそれが残っている。

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