ドキュメント高校中退―恐ろしき貧困の現実

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ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)
著者:青砥 恭
販売元:筑摩書房
発売日:2009-10
おすすめ度:4.5
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底辺高校の実態をレポしている。
本書に書かれている高校中退のイメージは衝撃的だ。
高校中退というと、勉強が退屈なので中退して、家にひきこもりつつ、あとで大検でもとるような、世の中の「ひきこもり系中退」みたいなイメージをもつこともあるが、最底辺高校とよばれるところの実情は想像をはるかに凌駕する。

最底辺高校では、
教師が数を1から100まで数えるという補習授業をするという。
順番に数えていけばできるが、55の次はいくつか?という質問をすると10%の生徒ができない。つまり、数字の理解は30までで、それ以上の数を概念として理解することが難しい。
もちろん九九はできるはずもない。



そういう高校は、中学の成績がオール1でも、入試で答案用紙になにも書かなくても入学できる。中学で試験をうけたことがなかったので、成績がないという生徒でも入学できている事例も紹介されている。

高校は勉強の場ではなく、18歳で社会に出るまでの猶予期間に過ぎない。働くわけにもいかないし、勉強してもしかたないので、つまり、宙ぶらりんな期間に、いちおう学校いってますというお墨付きをあたえる期間にすぎない。

中退率もすごい。あるクラスは入学時28人で、その年のおわりには10人減った。2年生以降はすこしはやめなくなるのだが、卒業するのは半数程度だそうだ。

もちろん、いきなり、そういう風になるわけではなくて、タイトル上著者は高校中退にフォーカスしているが、高校が問題というより、中学校のときからもうだめで、たいがいは小学生の2-3年生からもう勉強についていけなくなってしまっている。中学生までは義務教育で中退ということにはならないので、中学中退では本のタイトルにならない。だから高校中退としているのであるが、実情は小学校中退というのがふさわしい。

姉妹でシングルマザーとか。
ダブル母子家庭とか。
親が男のところに転がり込んだので、家を追い出された女の子とか。
もうめちゃくちゃ。

経済環境もめちゃくちゃで、
交通費がだせないので、自転車で1時間以上かかって通っている生徒や
体操着が買えないとか、
入学金の5000円が工面できないとか
そういう話になっている。

著者は貧困が連鎖することを問題視しているが、まさにそのとおりだ。
このような層が固定化することは、社会的にもリスクになるというのは指摘の通りである。

戦後の経済成長の中では、たとえ中学卒業でも、文字が読めなくても、計算がおぼつかなくても、常に人手がたりなかったので、仕事があり、賃金があがり、みんながそれなりに食っていけた。

しかし、バブル崩壊以降、この本にかかれているような人にとってはまともな雇用はなくなってしまった。不安定雇用と低賃金の仕事を一生するしかない。生涯にわたってアルバイトで暮らすしかないのである。

提言は4つあがっていた。
1つめ。高校の授業料無償化は、とてもいい策だろう。5000円とかのレベルが払えないで中退するひともいるくらいの経済状況なのだから、わずかの補助で高校卒業までサポートできるかもしれない。民主党は高校授業料の無償化を政策にあげているが、これは効果がありそうだ。

つぎに、高校を、普通教育から専門教育にシフトすること。ここにあがっている生徒に、微積分やらを教えてもしかたないが、高校のカリキュラムはすべて画一で、変えることができない。
普通教育ではなく、職業訓練学校としての機能に大きくシフトすべきというのにも賛成だ。

3つめは、そもそも高校になってからは手遅れという指摘。小中学校には児童福祉的な機能ももたせるべきだという意見。これも賛成である。

第4の提言は、ドロップアウトしたひとを職業訓練しようというもの。

ただ、これらの原因をすべて新自由主義と競争に起因させてしまっているところはいささか短絡的過ぎる。新自由主義が福祉を崩壊させ、家族の崩壊させたと書いてあるが、実際は、高度成長期は中学卒業のひとでも雇用があったのだから、競争のせいではない。経済成長が停滞しているから、底辺から順番に雇用が失われていったというのが実態で、その結果、底辺層の家族やコミュニティが崩壊したという順序だろう。

また新自由主義による競争が、高校を選べなくし、序列化がすすみ、底辺に人をおしつめているという指摘だが、それもどうか。
むしろ、がんじがらめになった画一的なカリキュラムがそのような問題を生んでいるのでは。

提言にある、職業訓練学校も、つくったところで、生徒にお金がなくて通えなくては意味がない。また、筆者も指摘しているが、そもそも職業訓練以前に、読み書きや、歯を磨くとか、小学校低学年くらいからの教育をもう一度やりなおす必要がある。

たとえば、高校を無償化し授業料をクーポンみたいな形にして家庭に支給するというのはどうか。あわせて、無料化したところで、既存の高校にしか通えないのであれば、九九がわからない生徒が微積分を教わることになるのだから、もうすこしカリキュラムを自由化し、非営利団体や宗教法人や企業も参入できるようにして、クーポンがつかえる学校の多様化を図るということもセットだ。

九九もできない生徒がいるならば、学校では、従来の教員資格をもっていても役にたたないから、ソーシャルワーカーといったひとが先生になったほうがいいかもしれない。画一的な教員資格も緩和して、教員資格を持っていない人も雇用できれば、さまざまな取り組みができるだろう。

それらの学校の多くはいわゆる従来の常識でいう高校からははずれるだろうし、そもそも学校という定義からもはずれるものも出てくるかもしれない。しかし、彼らの必要なのは、そのような世の中の常識が考える学校の定義から外れるものこそなのだから、それが現実だ。
そして、常識では学校と考えられないものにたいしてもクーポンがつかえるようにすれば、生徒の再生の道筋はもうすこし広がるかもしれない。

生徒の再生に特化する学校も出るかもしれない。戸塚ヨットスクールだって、ニーズがあって、最後の望みを託した親もいたわけだ。戸塚氏の体罰をつかった教育方法の是非は置いておくが、要は再生学校みたいなものに、クーポンをつかって無料で通うことができれば、すこしはなんとかなるかもしれないということだ。

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