日本型経営はグローバル資本主義を超えられるか

先日、オープンな日本型経営は可能か?という問題提起をした。

反応は薄かったのだけれども、この問題を問題と考えるひとがすくないのかもしれない。

グローバル資本主義がよいことだらけとは思っていない。ただ、現在の資本主義の仕組みを突き詰めると、グローバル資本主義になるのは、当然の結論だろう。

ゲームのルールは嫌だけど、このルールで戦うしか無いけど、そのルールで戦うと負けそうだ。かといって、ゲームのルールを変える力はない。この堂々巡りが、行き詰まり感、と表しているとも言える。

グローバル資本主義に対する日本型経営というのは、ゲームのルールが資本主義のままなのに、日本型経営で勝という思想だと解している。

日本型というのはいまのところ、戦後の成長期に確立した、同一民族集団による、長期的な利害を元にした、すり合わせによる村落共同体の経営だ。これは現代では、ごく一部の技術を追求する局地的には勝てるかもしれないが、GoogleやAppleなどのオープンなイノベーションは生みにくい。

そういう意味で、日本型経営がグローバリズムに勝つというなら、グローバルズムと戦争して勝てるパラダイムを生み出さないといけない。

グローバリズムに対する、日本型経営への回帰として語られるのは、昔ながらの村落共同体的な経営にもどろう、というものだ。それは、グローバリズムに勝ち、それを超えることはできないだろう。

どれだけ良いことをいっても、資本主義という戦争をやっているなかで、負けたら、何もいうことができない。負ける、ということはすべてを差し置いて問題なのだ。

資本主義はいろいろな問題をかかえているが、いまだ人類はこれを超えるパラダイムを打ち出していないというのは、多くのひとが指摘することである。

もちろん、それを超えるパラダイムが永劫に存在しないということを言っているのではない。ただ、それを超える可能性があるとしたら、村落共同体への回帰ではなく、資本主義を包摂しつつも、より高度なものになる必要性があるということだろう。

かつてはそれが共産主義だったということなわけで、なんだか共産党宣言のようになってきて、昔のひとと考えることは同じだなとおもっているのだが、一部の思想家が指摘するように、インターネットなどの共同体が作る新しい主義が、資本主義を塗り替えるという説もある。

なんだか記事が朝日新聞調になってしまい、朝日新聞を批判していた私からすると忸怩たる思いだ。つまり、曖昧な話をかくと、こういう散文になってしまうということだ。

ざっとしたアイデア段階ということで、もうすこしまともな議論ができるように、次の記事では深めていきたい所存。

 

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