「ゼロ」の書評が酷い件。朝日新聞調で、朝日新聞の批判を書いてみた

「ゼロ」の書評が酷い件。たしかに、アレを読んでみたが、あまりにひどい。

私も「ゼロ」は読んだ。堀江氏の赤裸々な人生が告白されていて、とても共感して、勇気がでた。記者は、同じものをよんで、堀江氏を「無邪気な子供」だと捉えたようだ。

それ自体は個人の感想であるから別に構わないと思うが、ただそれだけを書いたものは、書評とはいえず、記者の堀江評にすぎない。文章は気取っているが、中身は、個人の感想文と一緒である。書評とはいえない。

それを公器だと言い切っている朝日新聞が、掲載するのだから、恐れいった。

むしろ、もう僕らは朝日新聞に怒るのはやめたほうがいいかもしれない。公器でもなんでもなく、老人と左翼を読者にしたエンタメメディアと思ったらどうか。報道や批評だとおもわなければ、あの文章も、読者のニーズを的確に捉えた、職人の技だと褒めることもできよう。

さて、この手の何が言いたいのかわからない気取った文章は、適当に言葉をちりばめれば、だれでも書くことができる。

ためしに、朝日新聞批判を、気取った文章でかいてみた。秀逸だとおもったら、笑えたとコメントしてくれると嬉しい。

<インク、ペン、ハリボテの怪獣は天に昇る>

「紙は虚勢」だ。

インクがのって、物体としてあらわれれば、文章は神格化する。
紙という手に取れる実態が、神性を帯びる。

紙に印刷することができるものが、特権者のしるしなのだ。

中身はからっぽだ。それなのに、やたらと挑発してくる。

朝日新聞のあの権威主義は、グーテンベルクの印刷機をとおして、あたかもレーニンの冊子が革命をおこしたとでもいうように、紙の神通力を信じたものに福音をあたえているのだろう。

文章の劣化は国家の劣化である。
記者の劣化は、国家の劣化だといいたいのが怪獣でありたい新聞のエートスだろうが、
記者が劣化してこまるのは国民ではなく、どこまでもハリボテの怪獣だろう。
インクとペンの権威は、新聞販売員がもってくる怪獣のおまけにとってかわられた。

読者の大半をしめる高齢者とともに、インクのノスタルジックな香りも、いつかは天にのぼっていく。微妙だなぁ。

<参考>http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/2012041000007.html

 

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