若者の無気力は「ゆとり」ではなく「確信犯」なのかもしれない

ゆとり世代に対する逸話はいろいろなところで聞く。とにかく自主性がなくて、やる気もない。
それらは、ゆとり教育のせいだというのが定説だが、実はそうではないのではないかと、最近考えるようになった。

無気力さは、実は合理的な判断からくるのではないか。
どうしてそれが合理的な判断?と思うかもしれない。
しかし、身分制度のなかでは、それが合理的なのだ。

若者は入社してすぐに、自分たちが今後出世できないことを知る。ポストはもう自分たちにはまわってこないとわかるからだ。せいぜい、30年後は同じ島の課長の席にいれればいいほうだ。
50代以上の高賃金社員が昔からかわらない賃金設計の高給をもらい続け、ローンを完済し逃げきって退職金が満額支給されるために、若い世代は将来のポストも昇進も退職金も約束されないまま、低賃金で労働させられる。
そして「君、もっと一生懸命はたらかないと。なんでも若いうちは身を粉にして会社の仕事を覚えるもんだ」といわれる。身を粉にして滅私奉公して、帰ってくるものがあるとは限らないのに。
年齢によって、身分がきめられてしまって、ガラスの天井が出来ているということだ。



正社員と派遣労働も一緒だ。同じ仕事をしていても賃金が違う。
これも一種の身分制度だ。

これは、年金などの社会制度でもそうだ。
今の若者より何十倍もの金融資産をもつ高齢者の福祉の充実のために若者が働いていると言っても過言ではない。そういう、アンフェアを、今の若者は、正確にではなくても、なんとなく肌で感じているのだ。若者だってばかじゃない、将来をかぎわける嗅覚はあるにきまっている。

だから、合理的な行動は、なるべくサボることである。
若いうちに低賃金で働き、年をとってポストや退職金で報いるというモデルが崩壊することを嗅ぎつけている以上、もはや一生懸命はたらくことはナンセンスなのだ。
若くて低賃金なら、低賃金に見合った仕事しかしないのほうが合理的だ。サービス残業なんてもってのほか。

正社員と同じ仕事をしても派遣だからといって低賃金なら、その給与が安い分手を抜いたほうがいい。だって、その差は埋まらないんだから。

奴隷制度の下の奴隷は、どんなに頑張っても奴隷から開放されるわけではない。だったら、ROIを最大化するには、奴隷としてなるべく働かないことだ。

共産主義下のロシアでも、自分たちの仕事が決められていて、賃金も将来もすべて分かっている立場になった人々は、なるべく働かないことを選んだ。

もうとっくに絶望をとおりこして、開き直りという言葉がしっくりくるように思える。

「今の若者は身の丈にあった自分なりの幸福を実現できれば満足」という指摘が新聞記事にあったのだが、最初意味がわからなかった。しかし、このように考えてみると、

・身の丈=身分
・自分なりの幸福=ROIの最大化

とも読める。

波頭亮氏も、このように指摘している。
若者がなぜ『頑張ること』を放棄したのかといえば、それは『頑張る』という『投資』の量と、その結果として得られると想定される『利益』の量とを彼らなりに比較し、検討した結果、その最も効率的な行動は『頑張らない』ことだという計算が成り立ったからである。いわば、彼らなりのROIを指標として適用しているのだ。
サラリーマンとして毎日、一生懸命働いたとしても、いつ勤め先が倒産したり、リストラされるかも分からないいま、一生懸命働けば働くほど、頑張れば頑張るほど投資量だけが増加して、ROIのマイナスは大きくなる。なぜなら、頑張ろうが怠けようが、彼らには得るものにたいして変わりはないと映っているからである。ならば、投資を大きくすればするほど、リターンの非効率も大きくなるから、なるべく頑張らないのが彼らなりの合理的行動だという判断になる


若者は「ゆとっている」のではない。「確信犯」なのだ。


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