グローバルマッチョ論の2つの問題点

※一部訂正しました。

最近、うさみさんがグローバルマッチョに攻撃をしかけていておもしろい。

そもそもグローバルマッチョ論というのは、グローバルな人材にならないと生き残れないという話です。(わたしも煽ってます)

煽り過ぎというご指摘がある一方で、もっと煽らないといけないという危機感もあるようで。

そのあたりを指摘します。

とにかく、グローバルマッチョ論の最大の問題は、正しい受け手に届いてないということにつきます。

どういうことか?

まず、本来グローバルマッチョの煽りは、本来0.1%くらいしかいないエリートにむけたものです。

「日本のエリートたちよ、もっとハングリーに国を背負って戦う覚悟をもちなさい。常に海外をみなさい。海外のエリート人材と伍して戦える実力をつけなさい。それには英語、留学、海外経験、一流人材との真剣勝負。海外のやつは凄まじく勉強していてハングリーだ。本を読みながら歩いて、毎日死ぬほどの努力をしていて、凄まじい競争を勝ち抜いている真のエリートだ。海外のエリート達との密なるネットワークをつくっていきなさい。でないと、日本は孤立する」

※タムコーさんはこんな感じだと思うので訂正しました。タムコーさんの煽りはもっと広いかんじでビジネスキャリアに限定していない(政府、政治家、大学教員、研究者とかも含む感じ)ので、上記のほうがいいでしょう。

一方、ビジネス系の煽りは、

「子供のころから英語教育に親しみ、大学は米国かシンガポールに留学、英語はネイティブ並になってから、卒業後はグローバル企業に入社し、ハーバードでMBAを取得、転職をしてステップアップして、27歳でマネージャー、40手前には執行役員、45にはグローバルで影響力を発揮するリーダーにならねばならない。なぜ日本人が、スティーブ・ジョブスや、ジェフ・ベソス、ガースナーのようになれないのか??」

といったあたりが、狭い意味(ビジネスキャリア)でのグローバルマッチョ思想ですね。

さて、タムコーさんの壮大な煽りはあれとして、私のフィールド(ビジネスキャリア系)でいうと、日本の伝統的大企業にはいって、ジョブローテーションで社内キャリアを積んでいるだけの人材では、グローバル企業での人材価値は全くないのはホントです。

もしそういう人材が、いずれ僕も私いずれグローバルな経営人材になりたいなんていう甘い夢をみているとしたら、壮絶な勘違いであり、頬をひっぱたかれて目覚めないといけないのは明らかです。

グローバルで活躍して、高い賃金を得て、世界のエリートと伍して戦える人材にあなたがなりたいとおもっているなら、グローバルマッチョ論のいっていることは間違ってません。

しかし、これは響いているのか微妙です。彼らはグローバルに行くよりもますます保守化してしまっている気もします。民間のエリートも、危機感ありません。そもそも企業が危機感ないのですから。

「そんなこといってるからエルピーダみたいなるんだ」

といって煽っているのがグローバルマッチョ論です。

これは正しいのです。

グローバル競争にさらされているエルピーダみたいな企業は、マッチョにならずに楽しく生きるなんて道はありません。彼らのような企業やリーダーは、欧米やインドのグローバルマッチョに伍して戦う以外ないのです。

グローバル産業に属する人々は、自分たちがグローバル競争にさらされているということに対する自覚が圧倒的に足りません。。

そして、日本の基幹をなす製造業をはじめとした輸出産業のほとんどがグローバルな競争産業ですから、彼らがグローバルマッチョ競争に負けるということは、すなわち、日本の産業の負けを意味します。

そういう意味で、エリート層が、もっとレベルアップする必要があるのは確実でしょう。しかしいまだ当の企業もそうですし、政府もまたく危機感はもってないようにおもいます。相変わらず議論は内向きで、昭和の日本のやり方を復活させれば勝てると思っているさえも人もいます。

そういう意味では、グローバルマッチョ論は、本当にマッチョになる必要なひとにとっては全然とどいてないような気がします。

一方で、間違って伝わっている面もあります。

つまり、グローバルマッチョとは無縁の人です。国内でドメドメ産業の営業してます、国内で飲食店で努めてます、地方で老人施設で介護してる介護士です・・・など。こういうひとは、そもそもグローバルマッチョになる必要がありません。ただ、こういうひとまで煽られて、自分たちもマッチョにならなくてはいけないのではないか??と焦ってしまっている。

(注 ただ、そういう人も、グローバル化が社会や雇用にもたらす影響については理解しておいたほうがいいでしょう)

グローバルである必要のないひとを徹底的に煽ってしまっているという点で、グローバルマッチョ論はまちがったターゲットに届いてしまっている可能性があります。そしてそれがひとつの自己啓発のジャンルとして、必要のない人に無駄な心配を植え付けて、お金をとるというマルチ商法になってしまっているのではというのが、うさみ氏の指摘です。

まとめると、グローバルマッチョの煽りは、次の2つの大きな問題があるわけです。

・すでにグローバル競争にさらされていて、グローバルマッチョ達との競争が避けられないような、基幹産業のリーダー層や政府にはまったく届いてないばかりか、受けが悪い可能性すらある。

・グローバルマッチョをする必要がない普通のひとが、グローバルマッチョ論を真に受けてしまっていて、恐れおののいている可能性がある

現時点では、前者の啓蒙に失敗し、後者の芸が商売として大きくなっていると考えます。

なぜこういうことになるのか?

グローバルマッチョ論がどうして、前者に響かないのかということはもっと分析していく必要があるだろう。前者が、グローバルに対応できないと、いずれほとんどがエルピーダになるとおもっているので、彼らが変わることは日本にとってとても大事です。

そして、日本の産業がまけてしまうと、エリート層だけはなく、その恩恵で生活している普通のひとの生活も豊かではなくなるでしょう。

だから、むしろ、グローバルマッチョに無縁でない人は、リーダー層や政治家がグローバルマッチョに無関心なことにヤバイとおもったほうがいいかもしれません。グローバルマッチョになれない層にとっては、自分たちができないことは、リーダーや政治家がやってもらわないと困るわけだから。

PS.グローバルマッチョにも2つあることにきづきました。

ひとつは、日本を背負って世界と伍して戦え、迎え撃たねば系の壮大な煽りと、
むこうのシステムに沿って通用するグローバル化された人材を目指そう系のもの

前者はむしろ愛国心系かも。日本のやり方を世界に通用させるというのもあるかもしれない。日本を守るにはグローバルな競争力をつけて世界を迎え撃たねばって感じ。

後者は、そうではなくて、日本式はガラパゴスなんで、グローバル・スタンダードのルールの土俵にのって、世界中で評価されるようになりましょうというもの。

これはだいぶ違うかもしれません。

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