「未成年」という視点がかけている高校野球の議論

夏の風物詩ともいわれた高校野球ですが、最近では猛暑のなかアレをやるのは問題があるとか、投手が連投するのは問題だとかの批判も風物詩になっている気がします。

いろんな論点が示されていますが、決定的に抜けている論点があって、これが最大の論点だとおもうのですが、だれも指摘しません。

それは、高校野球が、高校生の競技だというところです。

え、当たり前じゃないかって?

そうです。つまり、未成年による競技なのです。

これ重要な論点です。

つまり、私がいいたいことは、未成年によるものなので、自己責任論とかいっているひとの論拠はすべて崩れ落ちるのではないか?ということです。

肩を壊してもそれでも投げたいと思う球児が居るとか、球児は何がなんでも勝ちたいとか、青春をもやしたいと思っているとか、

たしかに球児からしたらその思いは疑いもなく本音でしょう。その場で死んでもいいから勝ちたい。その後のことはどうでもいいから、その一瞬を輝きたい。

それは嘘ではないでしょう。

でも、それ、高校生ですよ。将来のこととかわかっているかどうかわからないわけで、後先を考えず燃え尽きてしまってしまうのですよ。

すべての高校生が自己判断できないとはいいませんが、多くの未成年の保護の法律は、そういう前提で成り立っているはずです。そうでなければ、未成年が飲酒しようが喫煙しようがアダルトビデオに出演しようが、犯罪しようがすべて自己責任で、リスクとリターンを自分で判断してやっているのだから、いいじゃないかということになります。

とりわけ球児は、同調圧力の高い仕組みのなかにあって、自分がいやなことでも、反対したり、チームメイトの期待をうらぎったり、監督の指示に疑念を抱いたりすることは、非常に難しいはずですで、ことさらに慎重にならなくてはいけないはずです。

経験のある大人なら、まずいことはまずいといって自分で判断できるでしょうが、高校生にはこれは判断できないという大前提をおいておいたほうが健全でしょう。

彼らは自分で責任をとれないから、未成年なわけであって、未成年がおこなう競技には成人とはちがう入念な保護や基準が適用されるべきです。

本人たちがいいといっているから、それでもいいというのは、そこに論拠をもってくるのはあまりにナイーブです。

未成年の競技であるから、本人たちにまかせていたら、むしろ後先考えずに、突っ走ってしまう。会場だって、みんな甲子園でやりたいに決まっている。球児にきいたら100%そうでしょう。そして本人たちに聞いたら、「暑い夏」にやりたいっていうに決まってます。チームのために肩がこわれてもいいから投げると言うにきまってます。でもそれを素直にきいて、「本人たちがいいっていうから」でいいのでしょうか。

投球制限などは、本人たちがいくら投げたいと思っていても、明確なルールをつくって適用すべきでしょう。会場にかんしても、ドーム球場でやるとか、気温が一定以上を超えたら試合を中止するとか、もしくは7回にしてしまうとか、延長をなくすとか。

もちろん、試合としての醍醐味やエンタメとしての要素はへってしまい、観客としては「しらけ」ます。でもプロじゃないんですよ。これ、未成年がやるアマチュア競技なんですよ。エンタメみたいひとはプロ野球を観戦してください。未成年に問題がおきたときには、責任を問われるのは当人ではなく大人の方ですよ。

この認識がずれたままだと、いずれ高校野球は青少年虐待として、国連あたりから勧告をくらう事態になるのではないでしょうか。

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