リタイアの再発明 – プライベートか仕事か、現役かリタイアか、そんなことはどうでもい

#タイトル変えました

2011年の、9月7日。この日は僕の36歳の誕生日だったのだが、この日、僕は個人的に大きな考えをまとめた。

実は、僕はこの日を持って、アーリーリタイアすることにしたのです。

リタイア宣言である。

36年間、ずっとリタイアする日を待ち望んでいたし、そのために仕事もお金も稼いできたが、ようやくその夢がかなった。
といっても、みなさんが想像するリタイアとは違う。ぼくは資産の運用で食べれるほど資産はまったくない。年金もない。不労所得もない。

えっ、じゃリタイアできないじゃん?



そう思うかもしれない。でも、僕はアーリーリタイアすることを宣言する。
これには、考え方を大きく転換させる必要がある。

リタイアの本質について考える前に、僕がずっと憑かれていたリタイア幻想について、恥ずかしさをこらえて今、語ろう。大学卒業から、14年間、ずっと考えてきた。

大学を卒業して、コンサルティングファームに入ったときは、コンサルファームは仕事も面白いし、昇進も早く、給与も高いということで入った。早ければ30代半ばパートナーとなり数千万円の給与を貰える。40歳くらいになったら、企業幹部に転職するぞという、いまから考えると青臭いプランを描いていた。

その後、学生時代にやっていたネットのサービスをもとに、友人と会社をつくった。自分たちのサービスを大きくしたいという気持ちもあったが、もちろん、早く会社を大きくして、IPOするなり何処かに売却して、アーリーリタイアも狙っていた。30歳までに成功して、さっさとリタイアしようと本気でおもっていたのだ。しかし、結果から言うとその夢はかなわなかった。

同年代で起業した人はみな成功している。
僕は焦った。本当に焦った。そして、コンプレックスにさいなまれていた。
自分でつくった会社を辞めたあと、半年くらい、バーンアウトになって、疲れてしまった。何もやる気が起きず、ただ、なにかに押しつぶされそうになってしまっていた。

その後また自分の会社をつくって新しいサービスを始めた。ただ、僕の奥底ではずっとある感情に支配されていた。リタイアへの憑かれたような感情だ。これがずっと僕を支配していたのだ。
これを乗り越えない限り、僕の心は、ずっと何かに取り憑かれたままだということはわかっていたが、僕には乗り越えるすべはなかった。

すこしそれが楽になったのは、とりあえず心がつかれているのだから、僕の考えというより、相手が僕に求めているもの、相手によろこんでもらえるものを素直に提供しようと思ったときだ。すこし、仕事のやり方を変えてみた、受動的にしてみたのだ。

最初は、コンサルティング業界について整理されたものがないので、整理してくれないかという依頼だった。そこで、僕は、コンサルティング業界の本を書いて、いくつか解説の仕事もした。
それがうまくいくと、今度は、ロジカルシンキングの本をかいてみてはという提案があった。それを書いてみると、売れた。そのようにしていままで8冊の本を書くことができた。
そしてコンサルの本がうれるようになると、コンサルファームに入りたいひとの相談をうけるようになった。そこで、その人達を、コンサルティングファームに紹介する事業を始めた。これもうまくいった。

だんだんと心が平穏を取り戻すにつけ、僕を支配していた、強烈な成功へのこだわりが少しづつ氷解していくのを感じた。それが決定的になったのは3.11の後である。

僕はリタイアについて考えてきた。
なんのためにリタイアするのだろう。
リタイアして何をするのだろう。

リタイアとは、

仕事をしなくていい→自由な時間が沢山ある→だから気兼ねなく自分の好きなことに打ち込める

ということだ。
リタイアといったって、南の島で、ゴルフをしながら過ごす以外のことだってある。
仮に僕がそういう立場になったら、ゴルフをするのもいいけれども、きっと3ヶ月で退屈になって、なにやら、いろいろ自分で初めてしまうだろう。そういう性分なのだ。もっと知的好奇心を満たしたり、今までの考えをアウトプットすること、新しい概念をクリエイトする活動に時間を使うだろう。

例えば、本を書いて自分の思想を伝える。
世界中を旅して、見たことのないものを見る。山に登る。世界を上から見る。
アートを見る、芸術活動をする。小説を書く。
数学を学ぶ。論理の奥底の深淵をのぞく。
わくわくするものを考え、新しい概念をクリエイトする。
世の中を良くするために活動をする。後輩を育てる。

大きなことも、小さなことも、どれも面白い

このリストを真剣に考えて、単純な結論に達した。
なんだ、すべていまやっていることだ。
いま、僕はリタイア後にやろうとしている活動を初めているところだったのだ。
もちろん自分のビジネスもしているけれども、これだって、面白いからやっている。
ビジネスで得られる悦びは非常に大きい。
リタイア後だって、また、ビジネスを興すかもしれない。

だったら、なにも迷うことはない。
今すぐ、全部、これやろう。
すなわち、そう、今、この瞬間にこれをやる生活=リタイアに入るのだ。

もちろん所謂リタイアとは違う。いままでの活動をやめちゃうわけではなくて、いままで通りちゃんと会社も経営するし、本も書くし、僕は独身で子供はいないけど子供がいたら育てるし、NPOだって作ってみるし、それに、普通にワインだって飲むし、旅行もする。よりいっそうそれに打ち込むのだ。そして、へんな気負いなく、ナチュラルにこれが出来ると思う。

僕が考えた新しいリタイアの定義は、自分のやりたい活動に自分の時間の殆どを費やすことができるということだ。そして、それは何も、資産運用で食べれるほどのお金を稼がなくても、年金生活に入って60を超えてからではなく、なんのことはない今すぐ実現できるのだ。
スティーブ・ジョブス風にいうと、「リタイアを発明しなおした」のである(笑)

ちょっとしたしがらみや、世間的な目や、常識が邪魔をしているに過ぎない。ネットなどの環境がととのい、場所や時間のしがらみに囚われず、仕事だってできる。僕は世界を旅して楽しみながら、ビジネスデベロップをしつつ、会社つづけることができる。一つの場所や仕事にとらわれずとも生活できる。2011年はそういうライフスタイルが実現できるツールが整ったと確信した年である。いま”ノマド”という言葉を借りて表現しているが、僕が考えているのはこれである。もちろん全部順調に行かないし、時には稼ぐために稼ぐ仕事をしないといけないこともあるが、そこは割り切る。
その一方、新しいお金の流れも出来つつある。クラウドファンディングや寄付のプラットフォームも整備され、直接やりたい夢を語れば小口で支援してくれる人もでてきた。選択肢が増えた。

僕は、現役とリタイアの垣根を壊した。区別をなくした。精神的な壁をとっぱらった。
プライベートか仕事か、現役かリタイアか、そんなことはどうでもい。区別するのがおかしい。
僕の中では、この4つが、いま一体になった。
現役とリタイアは相反するものではなく、自分のやりたいことを遠慮無くやることで、いまの瞬間から死ぬ瞬間までが、一斉にリタイアに転換されたのだ。
そして、今考えていることは、たったひとつ。
死ぬまでに、何をしようか。楽しいことがありすぎる。

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