2つの境について – 僕達を閉じ込めるものまたぐ勇気と、見えない境を見ることができる賢明さを

境、何かを隔てるもの。
ぼくは、境には2つのタイプがあるように思える。

一つは、社会の境だ。自分たちを規定する境である。
もっともわかりやすいのは、国である。国境は人を国内に閉じ込め、移動を制限する。
性別もある種の境であり、年齢や世代も境を作っている。
会社という枠組みもそうだし、地域や、グループ、なんでもいい、人があつまり、社会性を帯びると境ができていく。そして自ら、その境のなかで自分の立ち位置を認識し、それを守ろうとする。
これが定住の思想だ。
国、男女、会社の役職、年齢、世代、それらのなかで自分の相対的な立ち位置を知ることによって自分自身を認識する。日本人はそうやって自分を認識すると言われている。個ではなく、グループ内の相対的な位置によって自分を認識する。だから、グループがなくなってしまうと、個もなくなってしまう。



放し飼いの鶏がいる。
いずれさばかれて食卓にのぼる運命にあるのだが、その鶏にはそれはわからない。
囲いがあるわけでも無いのだから、鶏は、飼い主のもとを離れてもいい。
ただし、鶏は離れようとはしない。

会社に所属せず、フリーランスで仕事をするのは、会社という境を超える。
一つの仕事をするのではなく、2つ3つの仕事をテーマをもって取り組むのは、職業という境を超える。
一つの国にとどまるのではなく、幾つかの国に仕事をもち、往き来するのは、国や文化という境を超える。
男性が子育てをするのも、女性が家庭を支えるのも、男女の役割という境を超える。

今の日本において、僕らは、境をまたぐことができるだろうか
境にこだわらず、境にとらわれず、自由にまたぐことができるだろうか。
境をまたぐ勇気をもち、境をまたいでも揺らがない自分を持つことが出来だろうか。

もう一つの境は、知らずに通り過ぎている境である。
ブラックホールに”事象の地平線”というものがある。
ブラックホールというのは、光さえも脱出できなくなるほどの、凄まじい重力がある。光さえ脱出できないから、ブラックホールは真っ暗に見える。その真っ暗の半径が”事象の地平線”だ。これを超えたものは、光でさえ外に脱出できない。
光が脱出できないのだから、他のすべてのものも脱出できない。
絶対的な帰還不可能な線である。

しかし、その線は、宇宙の空間に線となって見えているわけではない。論理的な線なのだ。
そこを超えてブラックホールに落ち込むものは、自分がいつ帰還不能点を超えたのかはわからない。いつの間にか帰還不能点を超えていて、自分が決してブラックホールから脱出できないことを、あとになって知る。
これが、もう一つの境である。

その境は、自分が境を超える瞬間は見えない。気づかない。
境を超えたのか、超えてないか、それは自分でも気づかず、後になって初めて分かる。
超えたとわかったときにはもう戻れない。

そのような境がなにであるのか。

ナチス・ドイツが台頭したとき、冷戦が始まり東西に国境がしかれた時、38度線が形成されたとき、これらの時も、渦中のひとにとって、明確な境はなかった。しかし、気づいてみると、その境は絶対のものになっていたのだ。

知らずに超えている境があることに気づいているだろうか。

今の日本において、その見えない境とはなんであろうか。


2つの境がある。

1つ目の境に、僕らは自分から閉じこもり、
2つ目の境に、僕らは気づくことができない

閉じこもらず境をまたぐ勇気を。
そして、見えない境を見ることができる賢明な目を。

このふたつを僕は持ちたいと願う。

勇気を持ち、賢明であらんことを。



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