経済成長と評価経済のボタンの掛け違いはどこにあるのか?

どうも最近、ツイッター上でも、経済成長派と、評価経済派がドンパチやり始めた気がする。
そうはなるのではないかと予想していたが、なかなかそのとおりになっている。

両方ともに原理主義的な主張をし始めると、折り合いがつかない。

・納税するだけでも社会貢献だ、社会貢献を履き違えている
・稼がなければ、そもそも貧困に陥ってしまう、その時だれが助けるんだ
・イノベーションはだれが作るのか?

一方で、評価経済がすべてを代替するという主張も極端すぎである。

・お金のために時間を使うなんてもったいない
・ソーシャル・キャピタルさえ蓄積すれば生きていける
・お金など戯言

少なくとも僕個人は経済的な話も、評価経済的な話も両方わかる微妙な年齢にいて、ネットベンチャーのとき起業したり、マネーゲームも知っている。そして、起業したネタが今でいう口コミメディアみたいなものだったので、評価経済の仕組みもわかる。つまり、両方わかる気がする。

で、ボタンの掛け違いがどこにあるのかを分析しよう。

非常に長文になってしまったが、僕のここ半年の考察を全部まとめたものであるので、読んでほしい。



例によってコンサル的にマトリクスをつくってみた。


マトリクスの横軸は、マズローの欲求といって差し支えない。


◎モノの世界
というのは、マズローのいうところの低位の欲求、
生理的欲求(食べたり)、安全欲求(安全に、健康に暮らす)を始めとして、
言い換えれば、食べ物、家、車、といった、物質的なものとしての豊かさの世界だ

◎自己実現の世界
というのは、モノではみたされない、幸せであったり、承認欲であったり、自己実現や達成感といった高度な精神的な悦びである。
マズローの話では、モノの世界の欲求が満たされ、次第に人間は自己実現をもとめるようになるという。

マトリクスの縦軸は、達成手段である
それぞれ、いわゆる経済成長か評価経済か、どちらの方法でそれを求めるかである。

順番に分析していこう

①自己実現を経済成長に求める世界⇒閉塞感、働いても幸せになれない

僕らは、十分に経済成長し、モノと言う意味では十分すぎるほどの豊かさを手に入れた。しかし、幸せでない。これがほぼ日本の現状のコンセンサスであろう。で、幸せを手に入れるのに、経済成長だけでいいのか?という議論がなされている。

この象限は、経済成長を手段として、幸せはあるのか?という問いである。
経済原理主義者は、これらの幸せも、より多くの経済成長があれば、十分に達成できると考えている。その意見には僕も一定で賛成で、下世話な話、例えば明日から日本が10%成長したら、殆どの人の悩みは吹っ飛び、みな浮かれるであろう。これはまちがいない。仕事も楽しくなって、仕事を通した自己実現もできるだろうと思う。

ただし、そもそも、先進国の経済が年率10%といった具合に伸びることは構造的に無理である。容易に摘み取れる果実が減った結果、成長すること自体が難しくなっている。

構造的に難しいものを、苦労してまで追い求めても、労働投入の割に得られるものが少ない。つまり、簡単にいって、より多く働いても、得られる収入は大してふえないのだ。

人生における成功のロールモデルを、成長のみに立脚すると、(いまやそれがほとんど達成不能なのだから)、息が詰まる結果になる。仕事をとおした自己実現がしにくい世の中なのだ。

それなら、現在でも十分にモノという意味では満たされている世の中で、無茶に成長を求める理由は少なくなるだろう。仕事はそこそこにして、もっと自由な時間を得たほうがいい。ヨーロッパ的な成熟国の発想になる。


②自己実現を評価経済に求める世界⇒親和性が高い

では、経済成長では得られない、高度な精神的な充足をどこで得るのか。

それが、評価経済なり、ソーシャルネットワークの発達による、人間の繋がりであったり、共有であったり、相互承認であったりするのだろう。

経済の成長では得られない何かを、新しいツールによって僕らは得ようとしている。
だからみんな新しい世界を垣間見て、興奮しているのだ。

僕は、”これを成功ロールモデルの多様化”といっている。いままでは、とにかく金を稼いだりでかい会社をつくることだけが、成功のロールモデルだった。
ソーシャルの出現で、より多様性のある自己実現の手段がうまれ、お金ではない、多様な、自己実現モデル、成功モデルがでてきている。そこが多様化しているのだ。

ソーシャルの本質はそこにあると僕はおもっている。

またこれらの活動によって生み出された幸せや富はGDPには反映されない。ソーシャルメディアは多少広告業界を豊かにしても、GDPを革命的に押し上げることは今後もないだろう。ソーシャルメディアで儲けようと考える人は、すべて失敗するだろう。


つづき
③④が論争の種にっている

③モノやインフラを経済成長で賄う世界⇒1,2%の成長が必要


僕らは、経済成長をしながら、必要なモノやインフラを手に入れてきた。

極端な成長不要論者は、今後もさしたる苦労なくこれらが維持できるとしている。
それに対して、そんなことはない、成長なしには、貧乏になるとう反論がある。
僕は、この点では、後者がが正しいと思う。

現在のインフラや生活を維持していくためだけにでも、ささやかな1-2%の持続的な経済成長は必要である。

2%の成長の国と、0%成長の国では、約35年で倍の差がつく。つまり1世代程度で、倍。2世代で4倍の格差が生まれる。いま日本の1/4の所得水準の国を思い浮かべればいいだろう。

たしかに今はいい。
しかし、20年前にはiPhoneもネットもなかったように、20年後、50年後の社会はもっといろいろな物が発明され、世の中は便利になっているはずだ。そのとき、それらの便利なものを買って取り込むだけの所得水準を維持するだけでも、1-2%の持続的な成長が必要なのである。


評価経済では、この1-2%の持続的成長を無視しているか、あまりに軽視している。なかにはマイナス成長を許容する人もいる。そこがいつも論争の種になっている。

もちろん子供の世代には所得が半分になっても構わない、先進国の生活やインフラを維持する必要なんてない、極端にいって自給自足のような生活でもいいというのなら話は別だが、多くのひとはそれを望まないと思う。

BIという話もある。BIを実現するにも、持続的な経済成長による原資が必要であろう。1-2%の持続的な経済成長を達成するだけでも、日本は構造的な問題を解決していく必要がある。

④モノやインフラを評価経済で賄う世界⇒本当かよ?


評価経済で最低限がまかなえるのか?という論点である。
評価経済原理主義者は、これがまかなえると主張する。

そんなの幻想だ!
いやできる!それが未来の世界だ!

議論は堂々巡りだ。

私の意見では、アイデアを議論するのは面白いと思うが、あまりに時代の先をいった議論なので、現時点でこれに白黒決着させる必要はまったくない。アタマを冷やそう。
仮に評価経済だけで生きていけるひとが出てきても、別にそれでもいいだろうということだ。

<総括>
私の意見を総括すると、次のようになる。

i) 容易に摘み取れる果実が減った結果、先進国において、今までのような大きな成長を実現すること自体が難しくなっている。経済価値や、仕事を通した自己実現が難しくなってきたのだ。

ii) 成長に上限がかかった結果、僕らは経済成長以外の価値観によって、高度な自己実現欲求を満たす必要がでてきた

iii) そこに、ソーシャルメディアという福音が現れ、経済成長以外の方法(評価経済)にて、自己実現が可能になった。
成功ロールモデルが多様化した。今後この分野は大きな発展を見せ、人類の精神を革命的に押し上げるだろう。だが、GDPが増えるわけではなく、これで儲けようとしてはいけない。

iv) しかしながら、現在の生活水準を維持するだけでも、ささやかな1-2%の持続的経済成長は必要であり、これはリアルな問題であり、これを達成するだけでも日本は構造的な問題を解決していく必要がある。

v) 結論として、1-2%の経済成長をしっかり維持した上で、ソーシャルメディアを使って、めいいっぱい幸せになろうということである。どちらが欠けても、今後の日本は暗いものになってしまうと思う。

そして) 先進国では成長に限界が見てているというが、これはイノベーションの不足によるものである。数すくないがイノベーションを作り出す人もあり、それらの人がいつも時代を牽引してきた。人類の未来を実現してきたのは、常にそれらの人である。評価経済がといっても、その実現のためのツールをつくったのもそれらの人にほかならない。
僕らが真に推進すべきは、いかにしてイノベーションを起こすかということに他ならない。


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