大学は就職予備校ではないのだから、卒業しても就職できないのが当たり前と考えよう

就職シーズンだなぁ。

今日もツイッターに、息子が30社も会社をうけたけども、さっぱり受からないという悲痛の親のツイートが流れていた。たいへんだなぁ。

しかし、大学の授業は、就職にはさっぱり役立ちませんね。

文系の大学は言わずもがな、技術系の大学でもそうなんですよ。

たとえば、電気通信系の大学でキャリア指導をしているひとがいっていたんですが、この大学は「電気技師・設計者」みたいなのを想定してカリキュラムがくんであるわけですが、そういう仕事はどんどん減っているんですね。

電気系の機械みたいなのを設計するような仕事を想定しているらしいんですが、あのNHKでやっている高校生のロボット対戦みたいなやつとかあのテイストのものを設計したり。

でも、もはや、そういうののメインの技術は、動かすソフトウェアのほうにいっているわけで、この分野も結局、水辺分業なわけですなぁ。昭和的な匂いのする設計開発みたいな仕事につけるのって、何百人に一人?でもそういうのを目指す教育を毎年何千人に施しているわけです。(だから確率的に10人くらいそういうのになれるんですけれどもね)

要するに、大学は時代に合わないものを量産しているわけです。

美術大学なんて最たるものです。年間に何千人もの美大生が卒業しますが、美術でくっているひとは殆どいません。

油絵学科とか、彫刻学科とかがありますが、油絵・彫刻で食える卒業生は、まあ1万人に一人くらいでしょうか。

まだ建築学科ならいんですよね。
※twitter返信によれば、建築学科の実態もひどいらしい

こんなこと言うと、「大学は、学問をするところだ!」とお怒りになるひとがいます。「大学は就職予備校ではない!」って。

その怒りわかります。就職予備校ではないんです。大学は崇高な学問をするところ。

ヒッグス粒子とか、ケーラー多様体におけるホッジ群とか、江戸時代のかんざし文化の発展とか、六条の御息所における女性論とかを一生懸命学問するところです。

なので、大学というのは、学問をするところでよいのです!
(↑著者注:念のためいっていくけど、皮肉ですから・・)

大学は、学問をするのが本来のすがた。おもいっきり学問しましょう。
だから、当然だけど、卒業しても、実社会には役立たないし、就職できないのは当たり前です。 

 「大学は学問をするところである」 → 「卒業しても就職できないのは当然」

 「大学は社会で役立つ技能を予め身につける職業訓練所」 → 「卒業したらそのテーマの職につける」

どっちがいいかなぁ。

私からは以上です。そんじゃーね。

・・・だとあまりに酷いので(笑)

いちおう、いっておくと。ヒッグス粒子とか、ホッジ群とかやるのは東大だけがやればいいんです。スーパーエリートで、スーパー頭がいいひとは、人類の知の未来の為に、学問をやるべし。

でも偏差値40とかの大学では、n次元多様体上のホッジ群なんてそもそも理解できないし、かといって一生懸命六条の御息所の生涯について語っても、ほとんど意味が無いわけです。そういうひとは、もっと実務的なことやりましょうよ。食べていくためのことを学ばないと。

大学はごくごく一部の国際競争力がありノーベル賞を排出できるようなトップ大学を除いて、ほかは職業教育学校でいいと思います。

あ、そんなガチじゃなくて、ゆるーく、六条の御息所について語り合いたい?そうですね、そういうサロンみたいな大学もあってもいいかもしれません。サロン的な学問みたいなのってあるし。お金持ち専用ですね。やんごとなきかたは、魚やナマズの研究をされていらっしゃいますし。

要するに学問は才能があるか、お金があって仕事する必要がないひとがやるもんです。

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