ホワイトリスト社会に明日はない

規制というか、考え方の2タイプについてちょっと考えたことをかきます。

迷惑フィルターみたいなのには2つのタイプがある、ブラックリストタイプとホワイトリストタイプです。たとえば、ツイッターの例で考えましょう。やばいひとがメンションつけてきて、荒らしにはいった。これをどうするか?

ブラックリストタイプというのは、
・やばい人を指定して、そいつだけを排除する
というもの。
ツイッターのブロックがこれですね。ブロックされた人はフォローできなくなるけれども、それ以外のひとは依然としてフォロー自由。
デフォルトを”自由”においた実装です。


反対のがホワイトリストタイプ
これは、許可された人だけが、なにかできるというものです。
ツイッターでいっったら、
鍵付きのツイートのようなもので、
許可された人だけしか発言できないようにしてしまうということです。

これだと、たしかに安全だけど、有用な人からのフォローは得られなくなるかもしれません。
デフォルトを”禁止”においた実装です

ツイッターでは、後者をしている人は少ないですよね。
前者のように、原則自由にしたほうが得られるものが多いとみんな感じているからです。

僕らが住んでいる社会も、おんなじようなことがいえるのではないでしょうか?

前者のブラックリスト社会では、

・原則なんでもやってよし、自由なチャレンジOK
・やってみて、これはまずいとなったものについての知識が共有される
・きわめて危険なものだけが禁止される
・禁止されてないものは何でもやっていいので、クリエイティブな発想、チャレンジが生まれる

これがオープンな社会の基本構造なのではないでしょうか。

自由をデフォルトにして、いろいろやってみた結果まずかったものについては禁止する。禁止の基準は経験則によって合意ができるので、民間の自主規制のような形になります。そして、禁止事項以外はやってもいいので、いろいろなチャレンジ、自由な試行錯誤が生まれます。
起業や、インターネット、ソーシャルメディアには圧倒的にこの方法があっています。

一方、ホワイトリスト社会では

・原則すべて禁止、やってはダメ
・危ないものは、リスクが有りそうなものは、とりあえず全面禁止しておく
・例外的に、やっていいもの、やって良い行為を、許可する
・許認可制である
・許認可は裁量で行われる

あれ・・・これ日本??
まるで日本のあり方のようではないですか

禁止をデフォルトにして、個別に安全なものを指定すると、なにがOKかについて、裁量権が働いて、お上に許可してもらおうと陳情となり、それを許可してもらったひとが大きな利益をえるので、レントシーキングが始まります。
中央集権社会です。

インターネットで、ソーシャルメディアをこのように運営しようとすると、当然のことながらうまくいきません。ネット初期で大企業が始めたソーシャル系のサービスは全部この手の考えかたなので、軒並み敗北しました。

世の中の仕組みがネット的、ソーシャル的になっていくにしたがって、ホワイトリスト社会は、世の中の流れに上手く適応できなくなってしまうのではないでしょうか。

p.s.
最近のネットで話題になるおかしな話は、ココらへんに全部からんできそうです。出生届でどの名前を受け付けるかは役所の裁量だったり。まだ学校で習ってない漢字が名前に入っている場合、「麻央」ちゃんではなく、「ま央」ちゃんと書くように指導されるとか。国語のテストで登用漢字以外を使って解答を書いたら減点とか。小学生の算数で習ってない一次方程式をつかったらダメとか、高校の物理で微分方程式を使ってはいけないとか。なんだかなぁ。

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